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キングスランサム King’s Ransom 12yo (43%, William Whiteley.co. 1980’s)

 

タケモトカツヒコ
タケモトカツヒコ
[opentasting]

タケモトカツヒコ (プロフィール


【スコア】83pts


【ファースト】:琥珀 干した麦 甘さ控えめの蜂蜜 奥から軽くイチゴ アルコール感程良い ミネラル分

【ミドル】:ボディは染み込む印象 瑞々しい 角が立たずまろやか

【フィニッシュ】:鼻抜け優先 麦 ポップコーン 時間と共にクリーミー 余韻の最後に香水(きっとあと一歩踏み出したら。。。ギリギリ手前) 高貴


昨日、1975年仕込み分と言われるキングスランサムを開栓しました。

ロイヤルウェディング当日ということもあり、いつもよりも歴史的な部分を掘り下げて、記事にしたいと思います。


数多く(一節には100以上)のブレンデッドウイスキーを生み出した、William Whiteley氏は、1925年に念願のエドラダワー蒸溜所を手中におさめ、同蒸溜所の原酒をメインに、「House of Lords」を完成させます。

 


英国の議会は上院(The House of Lords)と下院(The House of Commons)の二院制。

文字通り訳せば「貴族院」と「庶民院(衆議院)」の意味であります。

議会制民主主義の発展とともに公選制の庶民院に政治の実権が移り「貴族院」は名目的存在となっていきました。

1911年には議会法で下院(庶民院)の優越が定められ、法案の最終的な決議権は完全に下院に移ります。

もともと日本の議会制度は、明治維新の際、英国の議会制度を参考にして、貴族院と衆議院の二院制度とした背景があり、第2次大戦後、貴族制度と貴族院は廃止され、政党色に囚われない専門家や学識経験者を対象にした審議機関としての参議院が創設されました。


そして1999年、労働党のブレア内閣がHouse of Loadsの世襲制に反対、92名を除いて残りの世襲貴族から議席を奪い去るに至り、現在の議席は700名ほどです。

【貴族院議員の構成】

世襲貴族
一代貴族
法服貴族
聖職貴族

1000を超える議員がいた当時も、出席していたのはせいぜい300人程度。そのためか貴族院の定足数は議長を含めて、わずか3名。(議決時には40名)。


英国において貴族階級は今も大きな力を保っていることが理解できます。

さて、House of Loadsについで究極のウイスキーを目指したKing’s Ransomは「王様の身代金」の意。英国はじめ欧州の各王室、米国ホワイトハウスでも採用され、1945年ポツダム会議でイギリス首相チャーチルがKing’s Ransomを提供。ソ連のスターリン、アメリカのトルーマンとともに戦後処理が話し合われました。

もっともチャーチル(保守党)はこのポツダム会議の開催中、労働党に総選挙で敗れて下野、アトリー首相が後を引き継ぎます

チャーチルは、2002年BBCが行った”最も偉大な英国人”投票でも第一位となった英雄。ノーベル文学賞受賞者。正式には「スペンサー=チャーチル」という複合姓(二重姓)。ダグラス・マッカーサー、フランクリン・ルーズベルトとは縁戚関係。

葉巻と酒を愛し、いわゆる「ベルモットを眺めながらジンを飲む」スタイルのマティーニは彼が起源。

一方ジン15:ベルモット1のドライマティーニは、ノルマンディー上陸作戦を指揮した、英国軍総司令、モンゴメリー将軍が起源とされ、チャーチルとは犬猿の仲。

ある時、モンゴメリーは「私は酒を飲まない(実際は飲む)、タバコを吸わない、たっぷりと眠る、私が100%完璧な人間である理由だ」という書簡をチャーチルに送り、これに対してチャーチルが「私はタップリと酒を飲み、少しだけ眠り、次々と葉巻を吸う、これが私が200%完璧でいられる理由だ」と返簡したエピソードは有名。

葉巻には現在も「チャーチル」サイズが規定され、指で挟みこみV字で喫煙するスタイルは「チャーチル」だけのもの。現在も我々がそれを真似ることはマナー違反と同義であり、シガー慣れしているかどうかをはかる目安とされています。

彼は晩年「その国の高齢者の状態を見ると、その国の文化の状況がわかる」という言葉を残しました。


最後に、世界を航海する客船に「バラスト(重石)」がわりに積み込んだウイスキーというと、King’s Ransomの代名詞になっている感がありますが、実際のところKing’s Ransomのオリジナルというわけではありません

日本で幣原喜重郎(第二次世界大戦後、第44代総理大臣となる)が外務次官時代、時の首相(1916年就任)で陸軍大将寺内正毅元帥から、ブランデーを拝領することとなった時のこと。

フランスに留学経験のある寺内は「きみらイギリスにいた連中は、ウィスキーなどという百姓の飲むような劣等酒を喜んで飲むが、品が悪い」と言い放ったといいます。

幣原喜重郎には英国留学経験があり、「ところであなたは、ほんとうのウィスキーを知っていますか」と返し、幣原愛蔵のウィスキーを2本寺内に渡します。このウイスキーはロンドンで知り合いになったディスティラリーの役員がくれたもので、熟成の過程で樽のまま船に乗せ世界を3周したものであったといいます。

しかもこれは蒸気船であってはならず、帆船でなければならないため船賃が高くなって商売用には採 算が合わず、役員達が自分達の楽しみの為だけに造っていたものであったと。

おそらく、このディスティラリーとはクラガンモア、ブレンデッドであればオールドパーだと思われますが、世界大戦前後にはこういった、世界航海にちなんだ逸話を持ったウイスキーは複数あり、それらが各国の上流階級に親しまれたと考えられます。

寺内はこのウイスキーをとても気に入り、他の者に「自分以外に飲ますな」と命じたそうで、それを知った幣原は「あなたは総理大臣で私はしがない次官です、双方対等に2本ということは無いではありませんか」と述べると、寺内はしぶしぶ天皇陛下からもらったブランデーを3本幣原に届けたと記録されています。