【11-続き】【美味しいウイスキーとは何か?-2】
本能的に好む要素、本能的に「抗えない(あらがえない)」要素というのは簡単に言えば、生体にとっての栄養素であるとか、アルコール依存症で類推できるように、そもそもアルコール(主にエタノール)自体が人体にとって依存性物質でもありますから、本能的に好み、本能的に抗えないことは「仕方がない」要素であるというふうに言ってしまうことも出来ると思います。
しかしながら、その内情・仕組みには違いがあり、これだけでは説明不足な感があります。
やや難解ですが、可能な限り正確に理解するために、ここでもう少し詳しくその仕組みを薬学的に掘り下げてみたいと思います。そもそも「薬」というものが、生体に特定の働きをする物質というところから来ていると考えれば、ある意味筆者の専門分野ということであります。
【12】【美味しいウイスキーとは何か?-3】【伏木教授の区分】
<伏木教授の区分に関する生理学的裏付け>
人間が適切に恒常性を保って生き続けるために、必要な栄養源を欲して、実地行動した結果「満足感」を得る、この満足感のことを、伏木教授は【生理的なおいしさ】と分類されているのだと思います。
この「満足感」を得る仕組み、美味しいと思う仕組み、好ましく思う仕組みが、どのようなパターンで起こっているかによって、【病みつきなおいしさ】と受け止められたり、精神的・身体的依存が生じるレベルで影響を及ぼすかどうかも決まると言えます。
病みつきになるであるとか、依存性を生じる場合には、ドーパミンのみならず、β-エンドルフィン、GABA、グルタミン酸、ノルアドレナリン、セロトニンなどの各神経伝達物質が介在して、「抗いたくても人間にはそうできない」というようになってしまうのですが、これは順を追って説明していく必要がありそうです。
<摂食中枢と満腹中枢>
視床下部には「摂食中枢(外側野)」、「満腹中枢(腹内側核)」が存在していて、薬物を用いるまたは脳腫瘍などの疾患によって、腹内側核が損傷を受ければ「食べ続け」てしまい、外側野が損傷を受けると「食欲不振」になってしまいます。
生体にはこのように「必要な栄養素を必要な分だけ欲するようなシステム」が、あらかじめインストールされています。
詳しくみてみると、「摂食中枢」があるところの外側野には、
グルコース(糖)濃度が上昇することで、活動が抑制され(摂食中枢が抑制される=食べたくなくなる)
グルコース濃度が低下することで、活動が活発になる(摂食中枢が活発になる=食べたくなる)
ように働くグルコース感受性ニューロン(神経)が存在しています。
近年、このニューロンの少なくとも一部には、オレキシン(1998年発見)という神経ペプチドが存在していて、これはレプシン(1994年発見)というホルモンによって活動が抑制され(摂食中枢が抑制される=食べたくなくなる)ていることがわかりました。
また「満腹中枢」があるところの腹内側核には、
グルコース濃度が上昇すると活動が活発になり(満腹中枢が活発になる=食べたくなくなる)
グルコース濃度が低下すると活動が抑制される(満腹中枢が抑制される=食べたくなる)
グルコース感受性ニューロンがあり、レプシンによって活性化され(満腹中枢が活発になる=食べたくなくなる)ていることが判明しています。
まとめると、視床下部には健康的(恒常性)に生きていくために働く「摂食と満腹の中枢」が別々に存在していて、血糖値が高ければ食欲は減退し、血糖値が低ければ食欲は増すように出来ているということなのですが(このあたりはフィーリングで理解できると思います)、
注目すべきは「オレキシン」についてです。
<オレキシンと覚醒>
オレキシンには、血糖値に代表される、生体の栄養状態に関する情報だけではなくて、視覚、嗅覚、聴覚、触覚、味覚といった「感覚」に関する情報が、大脳辺縁系を介して入力されています。
続いてオレキシン(作動性ニューロン)は、報酬系(腹側被蓋野)のドーパミン作動性ニューロンに対して、直接的に出力を行っています。
つまりこの仕組みが、人体に必要な栄養素だから美味しいと感じる(生理的なおいしさ)だけではなくて、見た目、香り、味、音、食感によっても、人間はその対象を「美味しい」と感じる証明なのです。
大事なことなので繰り返しますが、必要な栄養分を食べたから美味しいと思う。だけではなく、五感によって喜ばしいと思える対象を食べたから「美味しい」という判断を行っているということです。
案外当たり前のことに思えてしまう事象ですが、これが発見されたのは1998年のことです。
さらにオレキシンは生体の「覚醒と睡眠」にも関係していて、オレキシンによる情報伝達に障害が起きると、ナルコレプシーという睡眠障害を来してしまいます。
ですが、正常に、五感に関する情報を含む、大脳辺縁系からの入力刺激が「強ければ」、人体は「覚醒」するということでもあるのです。
例えば目の前に、とても美味しそうなボトルがあれば、目が覚めるような感覚を得て、興奮します。「おおぉ」と思う感覚です。この感覚もオレキシンがもたらしているのです。
ウイスキーは覚醒の酒であると書かれた方がいらっしゃいましたが、この仕組みでいけば、大脳辺縁系において、驚嘆に足る評価を得て、その情報がオレキシン(作動性ニューロン)に入力し、「覚醒」の感覚を付加して、報酬系へ出力されたということになります。
【13】【美味しいウイスキーとは何か?-4】【伏木教授の区分-2】
<大脳辺縁系>
大脳辺縁系の入力に関してもう少し掘り下げてみましょう。
大脳辺縁系には、生体にとって「利益か不利益か(快か不快か)」を判断している【扁桃体】があります。見たり、聞いたり、臭いをかいだり、触ったり、味を味わったりしたときに得た感覚情報は、大脳皮質から扁桃体に伝わって好き嫌いが判断されています。
また扁桃体の隣には【海馬】が存在しています。
海馬は記憶において、PCで言えば一時メモリー(短期記憶)の役割を果たしつつ、必要に応じて(精緻化されたことによって)ハードディスクにあたる大脳皮質に情報を送って、長期記憶にとどめてくれます。
このとき「扁桃体が下した快不快の判断」も情報として海馬に入力されていて、快不快の「強弱」によって、強ければ長期記憶として残りやすく、弱ければ忘れてしまいやすいという仕組みにもなっています。
実際扁桃体を活性させる薬物を投与した動物実験によって記憶の定着が向上され、不活性化させる薬物によっては記憶が阻害される結果が出ています。
ウイスキーを飲んだときの感覚それぞれが、快であっても不快であっても、その程度が自分にとって強ければ、記憶に残りやすいというわけです。
常に新鮮な気持ちを忘れずに臨んだ方が良いと言うことでは間違いなさそうで、逆に言えば刺激に慣れてしまって、快不快の感情が弱ければ、なかなか記憶にとどまらないということでもあります。
ただこの扁桃体が受けた刺激が、限界を超えると、パチンコ依存症のように「依存」を形成してしまうことも指摘されています。
食べ物でも、薬物でもなくて、「感覚刺激」だけで「依存」が形成されることもあるのです。