ボトルの年代判別(ジャパニーズ含む)、流通国判別 基本的まとめ 加えて日本国内の洋酒事情を追記
【】内は信憑度
【○】1921年 寿屋設立 本社/大阪市東区住吉町52番地 工場/大阪市港区八条通三丁目(現大阪工場)
【○】1924年 寿屋 山崎工場開設(現山崎蒸溜所)、ウイスキー製造開始
【○】1929年 サントリーブランド設定。社名は寿屋のまま。竹鶴政孝、山崎蒸溜所初代工場長となる。初の国産ウイスキー「サントリー白札」を発売。
【○】1943年 日本、酒の級別開始(第○級)。 特級設定は1953年から、1943年当初は設定なし。 頭文字の「第」が取れるのは1962年から(特級、○級)。
【○】1934年 大日本果汁株式会社設立。余市工場建設(ウイスキー製造開始は1936年から、第一号ウイスキー発売は1940年)。
【○】1943年 日本、酒税法改定。ウイスキーは清酒、焼酎のように単独分類されず、雑酒扱いであった。分類は第一級、第二級、第三級、第四級まで存在した。公布時の条文は官報掲載なし。
【△】1945-1950年代、イタリアンタックスシール横巻き、ティンキャップ混在(戦前にもあり)。タックスシールは日本、ドイツ、イタリアの敗戦に起因する。
【○】1945年 寿屋 本社を大阪市北区堂島浜通一丁目20番地に移転。
【○】1949年 日本酒税法改正、原酒含有率第一級30%以上、第二級5%以上、第三級5%以下。最低貯蔵年数3年。
【○】1950年4月 日本、酒税法改正。雑酒も公定価格が廃止される。
【○】1952年 ニッカウヰスキー、大日本果汁から社名変更。本社を東京都中央区日本橋に移転。
【○】1953年 横浜税関から分離された東京税関が設置される
【○】1953年3月 酒税法改正、第一級、第二級、第三級→特級、第一級、第二級。雑酒類の中に、ウイスキーという分類がなされる。最低貯蔵年数についての規定が廃止。輸入洋酒用酒税証紙貼付が開始される。(画像:国税庁)
また、エキス分についての規定がなされる。国内流通のウイスキーラベルにおいてエキス分の%が記載されているものは、1953年以降と考えられる。
<第三条>
二 「エキス分」とは、摂氏十五度の時において原容量百立方センチメートル中に含有する不揮発性成分のグラム数をいう。


【○】1958年 寿屋 本社を大阪市北区中之島二丁目22番地 新朝日ビルに移転。
【○】1959年 日本、メートル法を採用。大蔵省、各国からの酒類輸入制限緩和要請でグローバル方式を採用、国別の規制枠をはずす。
【△】1960年代、ボウモアシップラベルに代表される、ショートスクリューキャップが混在。
【○】1960年 日本へのウイスキー原酒輸入希望が外貨枠(30万ドル)一杯となる。輸入ウイスキー原酒の外貨割当方式が「国税庁長官の確認書付商社割当」となり、申請は洋酒組合を通じて行うことになる。輸入ビールの外貨枠は25万ドルに決まる。通産省「ウイスキー原酒の外貨資金割当要領」を発表。日英貿易協定調印。酒類の輸入枠、ウイスキー77万ドルなど、102万ドルに決まる。通産省、酒類の貿易自由化案を大蔵省に提示。
【○】1961年 日本、ビールの貿易自由化を決定。日米一般貿易協定でバーボンウイスキーの関税率引下げ(従価40%から35%)。日英貿易協定更改でウイスキーなど外貨3万ドル増枠。
【○】1962年4月 日本酒税法改正、原酒混和率、特級20%以上、一級10%以上、ニ級10%未満。ウイスキーはこれまで雑酒の分類であったが、ウイスキー類として単独の項目として扱われるようになる。従来の酒税負担の公平を図るため、清酒特級、ウイスキー類特級などの高価格酒に従価税制度が導入された。さらに、酒税の納付方法は、原則として申告納税制度に改められた。日仏貿易協定調印。ブランデーの輸入枠増える。清酒、濁酒なども貿易自由化される。ウオッカ、ラム等の貿易自由化。日英貿易協定調印でウイスキーの輸入枠を96万ドルとする。
【○】1963年 寿屋、社名もサントリー株式会社へ変更。
【○】1963年 GATT閣僚会議ケネディ・ラウンド開始。日本、諸外国から酒類の貿易自由化を迫られる。
【○】1964年 日仏貿易交渉妥結。ワイン、ブランデーの輸入枠50%増となる。
【○】1966年 日英貿易協定で1967年度のウイスキー輸入枠385万ドルに増枠決定。
【○】1968年 5月 日本酒税法改正、原酒混和率、特級23%以上、一級13%以上、ニ級7%以上。日本のGNP はアメリカに次ぐ第2位に。ジンの輸入が自由化される。
【○】1969年 4月バーボンの輸入が自由化される。11月ブランデー、リキュールの輸入が自由化される。
【○】1970年 日本で万国博覧会開催される。2月ぶどう酒、同搾汁、ベルモットなどの輸入が自由化される。
【○】1971年 サントリービル完成に伴い、サントリー本社を大阪市北区堂島浜通二丁目1番40号に移転。
【○】1971年 ウイスキーの貿易自由化。以降全酒類の輸入自由化がなされる。
【○】1972年 関税審議会、酒類などの関税一律20%引下げ。外貨持出し自由化。
【○】1973年 イタリア消費税課税開始、従来の3つ星から2つ星に。
【○】1973年 日本対ドル変動相場制へ。オイルショック。
【○】1974年 国税庁「輸入酒に対する酒税証紙(Japanese Tax)の貼付命令」を廃止、簡素化する。
【○】1977年 日本で生ビールが流行。
【○】1978年 堂島浜通→堂島浜へと地名変更。
【○】1978年 日本酒税法改正、原酒混和率、特級27%以上、一級17%以上、ニ級10%以上。輸入酒類の関税12.5%引下げ。
【○】1979年 円安・ポンド高でスダンダードスコッチが220%従価適用となり、各輸入業者が一斉に通関をストップ。
【○】1980年 英国プルーフ正式廃止。
【△→×】1980年 イタリアンタックスシール 3/4表記から0.750表記へ。
【○】1980年 公取委、輸入ウイスキーの表示に関する公正競争規約を認定。ワインに「特別軽減関税率適用」と「従量・従価併用方式」導入される。
【○】1982年 ニッカウヰスキー、本社を南青山に移転。
【○】1982年 洋酒輸入協会、英スコッチ協会にFOB値上げ自粛要請。
【○】1983年 公取委、スコッチウイスキーを対象に「輸入洋酒実態調査報告書」を発表。輸入及び国内流通に関し、「独禁法に抵触するような事実はなく、総代理店制度が競争制限的に機能していることはない。」と結論。洋酒輸入協会とEC 委員会が会談→内容:*日本の流通機構のEC からの輸入に当たっての障害について*並行輸入について洋酒輸入協会から、安価な並行輸入によって競争原理が働き販売促進になるという効果に対して、・輸入品の価格体系、ブランドイメージが崩壊する危険がある・並行輸入の多くは輸入総代理店が培ってきたブランドイメージにただ乗りしたものである・並行輸入品は継続的に安定供給することが難しく、十分なアフターサービスができないなどの問題があることを説明したという。この時点ではスコッチウイスキー輸入に際して「代理店制度」が機能し、また並行輸入への牽制を行っていたことがわかる。
【○】1984年 ロサンゼルスオリンピック、日本国内では伊藤忠商事主導でバーコード表示が拡大。バーコード直下の最初の数字で流通国を判別可能。
【○】1984年 日本で焼酎ブーム、ウイスキーの需要が大幅に落ち込む。酒類業組合法改正。ラベルの級別・品目などの表示変更が承認制から届出制へ。
【○】1985年 プラザ合意を契機として急激に円高が進行。英国スコッチウイスキー協会「全ての酒類について公平な関税・酒税を導入しない限り、スコッチは日本製品と対等な条件で競争できない」と税制改正を要求。
【○】1986年 英国のギネス社によってスコッチ業界のトップのDCL 社(ジョニー・ウォーカー、ホワイト・ホース)の買収が行われた。日本へのウイスキー類の関税、20%引下げ実施。EC「日本の不公正な酒税制度を改革する要求」を決議。・アルコール度数を基準とする単一の酒税率を適用すること・関税を日本製品に対するEC側の関税と同じレベルに引き下げること・アルコール度数を基準とする単一の輸入関税率を導入すること。スコッチウイスキー協会会長が来日、「高い輸入関税と不公平で複雑な酒税制度は、他の先進国と大きく異なっており、スコッチにとって極めて不利」と改正要望。
【○】1987年 日本、ヨーロッパ規格のバーコードを採用。大蔵省、GATTパネルで、ECに提示していた「酒税法改正の昭和63年1月実施」について撤回表明。EC側はウイスキー類の級別制度の廃止、ウイスキー・スピリッツに対するアルコール度数を基準とした単一酒税率・関税率の適用を遅くとも1990年1月までに実施するよう主張。日本の酒税法はGATT違反とするパネル裁定案:ウイスキーに対して焼酎より重い税負担。がなされる。
〈バーコード国別数字〉
45 49 日本、45は1995年5月に取得
50 イギリス
80-83 イタリア
40-43 440 ドイツ
10-13 2005年以降 アメリカ カナダ
30-37 フランス
489 香港
539 アイルランド
54 ベルギー ルクセンブルク
69 中国
754 755 カナダ2002年以降
76 スイス リヒテンシュタイン
84 スペイン
93 オーストラリア
【○】1988年 英国大使館「スコッチは初めて、国産ウイスキーと対等となり歓迎。焼酎とはなお格差が残っている。」と声明。
【○】1989年4月 日本は消費税導入と同時にECからの要望を受け、輸入酒関税大幅減。代理店以外の小規模卸が英国から並行輸入を始めたのもこの頃から。級別廃止。酒税法改正(級別制度廃止<以降ウイスキーとは発芽させた穀類及び水を原料として糖化させて、発酵させたアルコール含有物を蒸留したもののアルコール総量がアルコール、スピリッツ又は香味料を加えた後、10%以上のものと規定>・従価税制廃止・従量税一本化)。直後は輸入ウイスキーの(消費)戻し税安値販売が中心。ステイタス性が急降下。
<条文>
十五 ウイスキー 次に掲げる酒類(イ又はロに掲げるものについては、第九号ロからニまでに掲げるものに該当するものを除く。)をいう。
イ 発芽させた穀類及び水を原料として糖化させて、発酵させたアルコール含有物を蒸留したもの(当該アルコール含有物の蒸留の際の留出時のアルコール分が九十五度未満のものに限る。)
ロ 発芽させた穀類及び水によつて穀類を糖化させて、発酵させたアルコール含有物を蒸留したもの(当該アルコール含有物の蒸留の際の留出時のアルコール分が九十五度未満のものに限る。)
ハ イ又はロに掲げる酒類にアルコール、スピリッツ、香味料、色素又は水を加えたもの(イ又はロに掲げる酒類のアルコール分の総量がアルコール、スピリッツ又は香味料を加えた後の酒類のアルコール分の総量の百分の十以上のものに限る。)
【○】1989年12月 ベルリンの壁崩壊。日本において年末、日経平均株価史上最高値。
【○】1991年EC内、750mlから700mlへと変更。フランスブランデーの容量に起因。
【○】1991年12月 ソ連邦崩壊。
【○】1994年 円高もあり一部ディスカウントストアによる廉価販売を皮切りに、そこへ大手スーパーが加わる形で酒の「価格破壊」が進行、社会現象となる。スコッチウイスキー、需要が回復し始める。
【○】1997年 蒸留酒間の税率格差是正をめぐる日米交渉決着。焼酎甲・乙の一次増税・ウイスキーの一次減税。
【○】1998年 前年の蒸留酒間の税率格差是正をめぐる日米交渉決着にもとづき、焼酎甲乙の二次増税、ウイスキーの二次減税がなされる。
【○】2002年 ウイスキー、ブランデー、スピリッツ、リキュールなどの関税撤廃。
*貿易関連、酒税についての引用元:国税庁「戦後の酒と酒税」、日本洋酒輸入協会「創立50年のあゆみ 平成21年11月」