【9-続き】【報酬予測誤差-4】
これは何もウイスキーに限った話ではありませんが、対象となる実物「本体」と、それに纏わる二次的副次的要因を「混同して」話すとなると、そこには個々人の多様な価値観が介在することになります。
飲食もそうですが、芸術や文化的な物事を語るとすると、どうしてもそれを表現しようとする人がもつ「個々人オリジナルの価値観フィルター」を通して語られることになりますし、もっと範囲を広げれば、報道や言論をはじめ、個々人の意見や感想そのもの、「言葉」を用いた表現というのは、最終的に必ずこの壁に突き当たってしまいます。
聞く側の人間がどうあるべきか、話す側の人間がどうあるべきか、納得と理解の深度、情報の取捨選択のあるべき姿は、なかなか一筋縄に説明し尽すことが出来る問題ではありません。
これらのことがウイスキーテイスティングを言語化すべきだという前提でもあり、選ぶ言語の選択の前提といえます。
でも、案外シンプルなものではないかとも思います。
それは、
・個々人が、自分なりの認識をしっかり持っていること。
・その認識の「本質は何なのか」を常に見抜く努力をし、周辺事情に左右されないこと。
・そもそも人間というシステムがどのような仕組みになっているのか、学術的にも理解、知識を深めていく努力をし、盲目的に人間とは崇高な存在などと思い込まないこと。
・当該の物事について「実地経験」を積み上げること。空想論を除外し、根拠を求めること。
「ウイスキーテイスティングの目的は、自らの記憶を精緻化するため、その記憶を他人と共感共有、新規要素の発見に役立てるため」なので、要はその邪魔となることがら(≒邪魔となる価値観)はなるべく最初から排除したほうがいいということです。
【10】【ウイスキーテイスティング-1】
個々の価値観の違いをなるべく生じさせず、「ウイスキーを主役」として、他者と共に共感・共有、新規要素の発見を図っていこうとするならば、どうしたらいいか。
次なるステップの主題はここにあります。
初めての一杯をくぐり抜け、ウイスキーは美味しいと気づいた自分がいるとします。自然と「なぜ美味しいんだろう?」と興味が湧いてきて当然です。
「このウイスキーは桃の味がする、香りがする、もっと言えばオレガノも混じっている、カモミールもある、これはエステルだ、フェノールだ、ランシオだ。」
どんどんウイスキーテイスティングも詳細を極めて、特定の食品、品種などなど、フレーバーホイールなんかも用い始めて、味や香りの特定のため、大いに突き詰めて考え始めます。
私にも、出来うる限り正確に表現しつくすということばかりを主眼に、努力をし続けた経験があります。でも今考えれば、あまり効果的な努力ではありませんでした。
最近はウイスキーテイスティングを教える講座が開かれて、そこで何百種類もの現物の香りを嗅いで、記憶にとどめるということをやっているようです。
これもこれで否定する訳ではありませんが、そもそもテイスティングをする理由が、「華麗」にウイスキーの中身を言い表したいということが主眼であるならば、効果はあるのかもしれません。
でも仮に何百種類もの香りを使い分けて表現できたとしても、それだけではウイスキーをテイスティングするそもそもの目的を実現できるでしょうか?
理由の一つは、ウイスキーは料理ではないので、その表現した食材が実際中身に入っているわけではないからです。
あくまで食材は、香りや味の「代名詞」として、便宜上言語として用いているに過ぎません。
確かに、どこか似ているから、その食材を代名詞として用いているのでしょう。でもその言語利用した食材と成分が完全に一致することはあり得ません。極一部がまれに共通していることはあるでしょうが、そもそも正確に言い当てることなど不可能なのです。
人間はクロマトグラフィーなどの検出装置ではありませんから、突き詰めてテイスティングノートを考え抜いたとしても、正確であるわけがないのです。
以前も指摘しましたが、そもそもテイスティングノートに正解も不正解もあるわけがないのです。
まずはここの部分に誤解があれば、その不正確な認識は予め取り除いておいたほうがいいと思います。
表現することは必要です。でも「正確性」や「表現の種類の多寡」を追い求めることは、そもそもさほど意味のあることではないのです。
各ボトルを区別できる程度で、自分に長年記憶されている食材の香味を用いて、素直に率直に、状態や質感を含めて表現したほうがずっと相手にも伝わりやすく、自身の記憶効率にも有利に働くでしょう。
ウイスキーテイスティングを行う理由は、自らの記憶を精緻化するため、その記憶を他人と共感共有、新規要素の発見に役立てるためです。
【11】【ウイスキーテイスティング-2】
何百種類もの香りを記憶する努力をするより先に、そもそも飲食物の「おいしさ」とは何かということを整理して考えてみましょう。
美味しさの分類として2つの方法をご紹介しようと思います。
一つ目は九州大学で「味覚センサー」開発研究を行われている、都甲 潔教授の分類です。
【基本味】:甘味、酸味、塩味、苦味、うま味
【味覚】:【基本味】+ 辛み、渋み + 味の持続性や広がり(コクやキレ)
【香味】:【味覚】+ 香り(嗅覚)
【風味】:【香味】+ 質感(テクスチャや温度)(触覚)
【食べ物由来の要素】:【風味】+ 色や外観上の形(視覚)+ 音(咀嚼音など)(聴覚)
【食べる人間由来の要素】:食事環境 + 食習慣 食文化 経験 + 体調
【食べ物のおいしさ】:【食べ物由来の要素】+【食べる人間由来の要素】
続いて京都大学の伏木 亨教授の分類です。
【生理的おいしさ】必要な栄養素を含む味をおいしいと感じるもので、すべての動物がこの性質を持つ。例えば汗をかいたら塩味が欲しくなるような性質。脳の働きでいえば、視床下部のような本能と直結する部位の作用と考えられる。
【文化的なおいしさ】幼いころによく食べた味を好ましく感じるもので、海外滞在中に食べる和食がやたらおいしいと思うのが典型例。いわばお袋の味を好む性質。人間の大脳皮質が作り出す、ヒト特有のおいしさ。
【情報によるおいしさ】値段の高いワインほどおいしいと感じたり、「通の味」「本格派」などと形容される味を学んで、好むようになる性質。人間の大脳皮質が作り出す、ヒト特有のおいしさ。
【病みつきのおいしさ】砂糖や油の味は脳の「報酬系」という快楽中枢を刺激する。そのため満腹になっても手が止まらない。
どちらも示唆に富んだ分類だと思いますが、特に都甲教授の分類による、【食べ物由来の要素】、【食べる人間由来の要素】を分けて考えるという発想が、従来お話してきた、ウイスキーの本質本体と、それに纏わる周辺環境といった区分に合致するものと思われます。
そして基本味、(広義の)味覚、香味、風味と、「どのような香りや味だったか」のみならず、「どのような質感であるか、状態であるか」という部分も「おいしさ」を左右する大事な要素であることが分かります。
ほとんど従来のテイスティングノートというものは、ワインをはじめウイスキーにおいても、食材単語の羅列でした。
それは私にとっても大いに疑問ですし、「名詞・単語」だけではなく、どのような状態であるのかも示した方が分かりやすいと思います。
たとえば「桃のようだ」と言ったとしても、どのような部分(皮なのか果肉なのか)で、どのような質感(硬いのか、丸いのか、やわらかいのか)なのかということは、やみくもに「名詞・単語」の種類をただ増すことよりも、よっぽど大切なことだろうと思います。
このあたりを予め知った上で、意識的にテイスティングノートに盛り込んでいくことで、より活き活きとした、質の高い表現が叶うことでしょう。
実際に飲む、食べるというのも個々の人間がすることですから、厳密に言えば何もかも【食べる人間由来の要素】でもあるわけです。ですので先述のように、そこに「正解があるわけではありません」。
そもそも【食べ物由来の要素】、【食べる人間由来の要素】を分けて考えるという発想というのは、「実物本体」と、個々人の「価値観」とを「分けて」考えるための区分ではないかとも受け取っています。
そして目の前のボトルが、「なぜ快楽につながるのか?」を理解するにあたって、これらの2分類に個々人の認識した要素を当てはめ、その融合体として存在するから「おいしい」と結論づけることも、とりあえずは可能となるでしょう。
他者と感想を交わすとき、「実物本体」と、個々人の「価値観」とを「分けて」話したり、受け取ったりすることが、自らにも当てはまるのか、当てはまらないのかを見極める方法だと言えますし、その混同は極めて危ないと、従来別方面からご指摘してきたとおりです。
物質として各成分が人体にどのように作用するか、この点ももちろんあります。しかし、上記2分類(【食べ物由来の要素】と【食べる人間由来の要素】)を常に意識すれば、各要素(2分類のどちらかに分類される)それらが融合体となったウイスキーに対して、テイスティングしている人(自分でも他人でも)が、「おいしい」か「そうでない」か、(快楽に)プラスかマイナスかと感覚判断を下しているのだと理解できます。
繰り返しになりますが、自らテイスティングする場合でも、他者からテイスティングを伺う時も、常に【食べ物由来の要素】の感想か?【食べる人間由来の要素】の感想か?区分して認識することが極めて大切です。
なぜならその「おいしさ」という感覚、各区分に対して、個々人がその認識によって快楽を得るにあたって、人間として理性で抗うことが出来る要素なのか、そうでない本能的な要素なのか。を理解することと同意だからです。