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【もし今から飲み始めるならー5】美味しいウイスキーの分類 250518


【7-続き】【報酬予測誤差-2】

以上のような経緯で、アイラ(ピート)偏重、度数偏重、シェリー偏重と、その都度「感動」出来るポイントが見つかれば、得意技を身に着けたと同じでした。とあるボトルを飲むごとに似たような方向性を飽きるまで繰り返し確認、グラスの形も変える、冷蔵する(後述)、同じボトルにわざと違う環境をセッティングする、その状況を記録する(テイスティングノートを書き始める)。

さらに比較対象が必要になったので同年代蒸留、同時代瓶詰めのボトルを買う。そうしているうちに他の蒸留所についても自然と見つけられる「香味や質感」の幅を広げざるをえなかったという、何とも必要に迫られて他リージョンに手を出したに過ぎないきっかけでしたが、ただ今考えると、意外とこの繰り返し作業が、悪くなかったのかもしれません。

別にどこの蒸溜所でもおいしいボトルはあるんだなと確信できるようになったからです。ここでようやく「ウイスキーの多様性が探索していく興味を尽きさせない」状態になりました。

もはや蒸留酒であればなんでもウエルカムな気持ちです。


人間の記憶に関する仕組みは、短期的・一時的な記憶が「(一時)メモリー」へ、長期的な記憶が「ハードディスク」へといったような体裁で構成されていて短期の記憶に関しては数十秒、要素として7±2個程度しか保持できない(マジカルナンバー7±2)ということが様々な実験を通して分かっています

短期記憶は何もしなければ消えてしまいます。徐々に詳細が削られて行って、最終的に消えてしまうということです。

そうならないために、繰り返し記憶を反芻するとか、言語化するとか、比較するとか、その「記憶しようとする対象」の詳細が明瞭になるように、精緻化の努力を払う必要があり、それでようやく長期記憶にとどめることが可能となるのです


全く初めての事柄ばかりなら、長期の記憶にとどめることは至難です。でも一度対象物の骨格というのか、共通項を把握してしまえば、あとはその共通した標準的な要素から外れる部分、例外的な要素を記憶するだけでいいわけですから、払う努力は楽になります。継続すればするほど壁は取り払われていきます。

確かに、全く縁もゆかりも無い人の名前を覚えることは、たくさんエネルギーが必要そうです。でも兄妹の、さらに子供の子供であったとしても、しっかり形成された兄妹の記憶があれば、その関連性から、意味付けされて整理することができますから、思い出す段になっても、何のきっかけもないよりは助けになってくれることでしょう。

ボウモアの1966蒸留を知っていて(記憶の柱がある、語彙がある状態)、ベンリアックやトマーチンの1970年代半ばの蒸留品、ロッホサイドの1981蒸留を知るすると、違いはあっても、いずれもとても果実的な内容だということに関しては共通していますから、どこが同じでどこが違うかということを比較検討することで記憶の整理が可能です。柱がある、語彙があるからしっくり来やすいし理解しやすい、スムーズに長期の記憶に残りやすいと言えます。

取っ掛かりをしっかり認識して、記憶の柱とし、理解するための語彙として利用することが、後続の認識を手助けしてくれるということです


【8】【報酬予測誤差-3】

こうした記憶と報酬系のシステムをウイスキーテイスティングに融合してみると、それはもう非常に示唆に富んでいます。

くどいようですが、分かりやすいようにこれまで挙げた事柄をもう一度まとめてみようと思います。

テイスティングノートを書くことで、感覚を言語化することで記憶の定着がはかられやすくなることは精緻化の観点から理解できます

ただ言語化が実際と乖離していると、事実を精緻化したことにはなりませんから、誤った幻想を記憶してしまう危険性も同様に存在しています。

短期記憶は数十秒から、数分の持続時間しかありませんので、なるべく現物に直に何度も当たる必要があるのです

これが1杯だけ、ハーフショットだけでは、なかなか深く正確に多くの事柄を理解しきれないという根拠です。



ウイスキーを飲んだ実体験から時間を経過してしまうと、自然な振る舞いの中で(努力はせずとも)、どんなポイントが思い出として残っているか、ある意味そのボトルが自分にもたらした「最要点」を知ることは叶うと思います

これはこれで価値あることだとは思いますが、自分に可能な限り隅から隅まで広く味わい尽くして記憶に留めるという観点でいけば、やはりその場でテイスティングノートを書くほうがいいと言えるでしょう。

また初期に飲むボトルほど重要で質にこだわるべき、美味しいボトルから飲むべきだとしたの(根拠)は、新しいことを始めよう(記憶しよう)とするならば、(慣れたあとと比較すると)かなり多くのエネルギーが必要なわけですから、なおさらそのエネルギー消費に足る報酬予測が成立する対象であることが必要だからです

ウイスキーに関して言えば、それが素直に美味しいと、満足感が高くて、また続きを追いたいと思うぐらいの内容でなくてはいけません。



記憶するエネルギー消費に対して、中身に満足できる、報いてくれる、興味をひくボトル選択こそ望ましい最初であるほど良いものの方がいいそれに美味しいものを先にしっかり知っていれば、その後にイマイチなものがやってきたとしても、払う労力が少なくて済むわけですから、万事うまく行くとも言えるのです

加えて、序盤の段階では、自分の頭の中に「興味の軸、柱」を作るため、似たようなタイプのボトルを繰り返し飲んだ方が、その精緻化効果から、長期記憶の構築が促され易くなることも理解出来ますフルーティーなボトルが好きならばその傾向で、アイラが好きならばその傾向で「絞って」経験を積み重ねたほうが、ウイスキーに対する(一部の領域ではありますが)理解が「深まる」「しっかりとした長期記憶として残る」ことが理解していただけると思います

美味しい、似たタイプのボトルを、飽きる手前までしばらく飲んで行けば、狭い範囲ずつではあれ、ウイスキーを理解して行き易い、ということです。


あまりに幅広いボトルに翻弄されて、ウイスキーに関する語彙が育たないという場合、意識してやってみるのも良いかもしれません。バーテンダーさんにとっても、新しくウイスキーを飲むお客さんが何が何やらまとまりがついていないようだとか、わけがわからない、はっきりしないと見受けられる時には、こうした「絞った」アプローチをしてみるのもいいのでしょう

ただ、これも難しいことに、マッカランならマッカラン、アイラならアイラで、同一時間に比較してみるというのは「局所」の理解を深めるために有用ではあるのですが、濃厚シェリー樽熟成のマッカランが、その日の1杯に組み込まれるならば素晴らしいと思えるのにもかかわらず、5杯なら5杯、全部がマッカランだというと、相互の違いはわかりやすいにせよ、飽きるとか報酬予測がプラスに転じにくくて、イマイチ紅一点的に見えていた時ほど満足しきれないという事態も起こり得ます


杯構成(その日の飲む順番)。。。記憶と、行動を引き起こす報酬系のどちらを優先すべきかという問題、これもややこしい課題です。

もう結局は色々なバランスで杯構成で、何度でも試してみるしかありませんまずはどんな中身か理解する、続いてそれをより美味しく飲める杯構成を探るという順番がいいと思います。

杯構成についてはまた別に詳しく解説させていただきたいと思いますが、基本的には、香味や質感のポイントをそれぞれ「押しボタン」として捉えてみるとわかりやすくて、5杯なら5杯、できるだけ広範囲に、できるだけ数多く、より深く押す、という構成であることが望ましいと考えます。


アルコール度数順、アイラは一番最後、それらにも一理ありますが、もう少し奥深く探ってみる必要があるかもしれません。

杯を重ねることで「記憶の中でのカクテル効果が生じる」ともいえるでしょうし、途中途中で微妙に似た要素を重ねることで、明瞭化を図ったり、補完し合う部分があると(理解できると)なお良くてそういった部分で、出す側がいかにそのボトルを理解しているかが飲み手に伝わって来ます

センスが光るところです。

こうした杯構成は、Barでお任せで飲む醍醐味の最たるところだと思っていて、1杯1杯の実力が、杯構成によってより高まる、そこまで出来て流石プロバーテンダーだと評したいですし、想定よりも美味しく味わえるということは報酬予測的にもプラス。またこの場所で飲みたいという次なる意欲につながるものだと思います。



【9】【報酬予測誤差-4】

記憶のシステムも報酬予測によって、行動を起こしたいか、そうでないかが決まることには更なる難点があります

先述しましたが、「正直な話、目の前のボトルを、さほど美味しいと思うわけではない」。でもウイスキーに詳しくなることが恰好いいと思う。人に自慢できるから飲む、雰囲気が良いから、悦に浸れるから探求する。報酬予測はそんな、「本来の目的に外れた合わせ技」であってもプラスとして成立してしまうということに原因があります。

例えば、良くあるケースとして、

・このボトルは数千円。なのに内容がいいから美味しい。逆に、このボトルは数万円、内容云々よりも値段の時点でアウトだと思う。

・高額だから美味しい。

・BARの経営者として、このボトルは儲かる、だから良い。儲からないボトルだから不味い。

・このボトルは蒸留所のオフィシャルボトル、だからこの味こそ正解。美味しいかどうかは関係ない。愛すべき存在である。

・このお店が私のために選んでくれた、特別に開けてくれた、とてもレアなボトルだから美味しい


と、これらは「ボトルにまつわることではありますが、肝心の中身とはかけ離れた<情報>によって付加価値をつけた」ことで得られた報酬ばかりです。

この人間独自の「合わせ技」による報酬設定は、「ウイスキーの中身を分かち合うための最大の障壁」となりえます

子供のうちは、物事に対して素直に感想を表現することができます。でも、人間はいつの間にか、物事を一度、自分の価値観フィルターに通した上でしか、見ることができなくなってしまいます。最早これはウイスキーだけに関わらず人間同士の価値観は統一されることがないために、究極的な部分においての意思疎通や相互理解は不可能である」と言っていいのかもしれません。

なにやらウイスキーごときに、何を崇高なことを述べているのかと受け止められそうですが、言い表すとしたらそうです。


さびしいかな人間がどんなに努力しても、どんなに正確に、わかりやすく、ウイスキーを表現したとしても、自分と全く同じ感想を他者から得ることは叶わないということでもあります。

感覚は各人違いますし、その感覚から得られる報酬も、個々人によって異なります。だからこそ、後述しますが、テイスティングコメントを述べ合うには、ある程度の抽象度やゆとりが設定されていることが必要だとも思っています。

テイスティングにおいて重要なことは、感想の合致の正確さだけではなく、他者の感想から(新たに志向性のベクトルを引くことができた結果)「気づくことができる」ことにもあります。

個々の価値観の違いは、あって当たり前と認めるほかありません。「最高のウイスキー」と「最高に美味しいウイスキー」は違うということです。


意外とこの点をはっきり自覚するのには時間がかかるように思います。

テイスティングにはどこかに正解があり、分からない自分は何かおかしいと考えてしまう人がいます。

違います。全くの逆です。

違うからこそ、たくさんの飲み手が交流する意味もあるし、そのおかげで自分が気づかないところにまで認識を及ぼすことが出来るようになるのです。個々人の価値観の違いがあってはじめて、同じ対象を見つめるにしても、その違いを融合させることで、広く深く見つめることが叶います。こう考えれば、人と違ってむしろ素晴らしいと思うようにもなるでしょう。

これが自分一人だけでは、ウイスキーは理解しきれない、交流することが必要だと思う根拠です。


ただ、ウイスキーそのものになるべく客観的(正確には間主観的)に近づくためにも、自分にとってのそのウイスキーに対する経済性とか、見栄やレッテルが偏見となった上に、感情に介入してしまったり、結果「ウイスキーの中身だけ」を素直に受け止めることが難しくなるというのなら、それらの「余分な付加価値による合わせ技報酬」はなるべく早く解除すべきです

完全なる客観(間主観)視は不可能だとしても、意識的にテイスティングにおける合致性を強調しないということは、相互理解を前提とするならば、他者との交流において最重要な前提となるでしょう。

「(人間の勝手な)脳内報酬の合わせ技」これは非常に悩ましい仕組みです。これが洋酒文化をややこしくもし、見栄や自慢飲みを成立させてしまいますし、実体と中身からかけ離れた価値観を独り歩きさせてもしまう原因であるのです。