【5-続き】【飲み手の良くない進行パターン】
これら5つの項目は、ウイスキーの「中身」に主眼があるわけではなく、どちらかと言うと自分が他人に向けて、自慢込みでウイスキーを飲んでいるという、そもそもお酒が主役ではないことに加えて、何のためにお酒を飲んでいるのかも理解し難い、非常に「もったいない」傾向ばかりです。
アルコールが自制の箍(たが)を外しやすくして、バーテンダーさんなんかにちやほやされると、ついついそういう部分が出てくるのかもしれませんが、私が今から飲み始める自分に対して教育できるのであれば、万が一そうなったら飲むのをやめて、別な趣味を持ったほうがいいと忠告します。どんなことよりも一番強調したいことです。もっと真摯にウイスキーに向き合う人にこそ席を譲るべきだからです。
おそらくは目の前のボトルに感動できないか、目の前のボトルよりも重要なことが自分の中にある人なのかもしれません。先にも述べましたが、他人に向けての行動とは言え、実際傍目で見ている側からすると、その人が何種類飲んでいようが、どんなライフスタイルなのかとか、誰と知り合いだろうが、その人にどれだけ蒸留所についての知識があろうが、全く「興味の二の次」のことでしかありません。目の前のウイスキーに真摯に向きあう飲み手に、打っても響くはずがないのです。
興味が有ることとしたら、自らにも当てはまる(かもしれない)ことです。同じボトルについてどう思ったか? 美味しそうなら気になるでしょうし、共感出来れば楽しいでしょうし、商品というプロの目からしても(酒屋さんやバーテンダーさんにとっても)、出して喜んでもらえたかどうかは大いに気になるところでしょう。
どうもお酒は飲む人の視野を狭くする傾向があるようです。
ウイスキーを飲む、それが自分のためだけでないとか、広めたいとか、共感を図ろうとかいう気持ちを持つぐらいまで、ウイスキーの存在が自分の中で大きくなったのであれば、尚更すべきことは「目の前のボトルに関して、しっかり自分なりの感想を持つこと」です。
どんなレアなボトルであれ、ちょっぴり飲んだ。それだけなら何の自慢にもなりません。貴重であればあるほど、飲むことが叶った自分は、しっかりとした感想を持つなり、大げさですが、飲んだ生き証人として記憶に刻み込まねばならないぐらいな気概でいるべきだと思うぐらいです。
何々のボトルを何本持っている。これも何の自慢にもなりません。開けて飲んで、できれば仲間とシェアもして、感動を共有する。そうしてこそ初めて価値があることなのです。
同じ時代に生きて、ウイスキーが好きだと、しかも対外交流を図るくらいになってきたとしたら、愛飲者の一人として、その時々で自分に出来る限り、しっかりと正直な感想を持てるように目の前のボトルに向かい合う。万が一それ以外のことが「この観点」を上回るようになったら、おかしいと、そういつでも気づくことが出来る心持ちで居続けなければならないのだと思っています。
自戒を込めて、この点再確認しておきたいと思います。
【6】【報酬予測誤差】
さて、初めてウイスキーを飲むというハードルは、何らかの方法にて乗り越えたとします。続いてどのようにボトルと向き合っていきましょうか。
この項目では実際にテイスティングの方法についても解説させていただきたいと思いますが、まずはモチベーションの維持です。楽しくないのに飲み続けるのは「おかしい」ことです。
また堅い話をしますが、以前腹側被蓋野から側坐核というドーパミン系こそが、人間にとって「報酬」を司るコンポーネントだというお話をさせて頂きました。この側坐核にこそモチベーションを担うはたらきがあります。
「報酬予測誤差」と呼ばれる、行動を学習し、今後につなげるシステムです。
ある行動をとったら、満足度が高かった(報酬が多かった)。という行動を学習して、より報酬の大きいと予測される行動を優先して行いたくなるという欲求を生じさせる仕組みです。この仕組みは、人間の意思を形成する主体である「前頭前野」のコントロールをも上回るほどのパワーを帯びる場合があります。
これはドラッグやギャンブルなどで顕著になるような極端な場合でですが、単純に言って、ウイスキーを飲むという行動が、常に新しい発見や、満足感を得られる存在であり続ければ、モチベーション高く、楽しんでボトルに向き合えるというわけです。
逆に同じ理由で、ボトルを開栓しても、BARに行って高いお金を払っても、何度も何度も期待はずれに終わったとか、嫌なことがあったとか、意外性のないまま進捗したとしたら、また今度飲みたいという欲求が湧かなくなって自然です。
無理はいけません。
美味しいかどうか、そうでなければ新しい発見があるのか、何らか自分に付加価値を与える存在との出会いでなければ面白くありません。よく蒸溜所のオフィシャル現行だから、愛さなければならないとかそういう方向性の方がいらっしゃいますが、心から美味しいと思ったならばそれでよし、にもかかわらず、美味しいからという理由より先に「愛さなければいけないから」とかいう義務感が前に出るとしたら、先述のように目の前のボトル以外の「何か」を楽しみにし始めていることになるのかなと思います。
では具体的にどうすれば良いか。。。それは自分の好み(のパターン)を少しでも早く、少しでも多く見つけることでしょう。
このパターンにハマれば、自分は十分満足できる。これを幅広いポイントで見つけることではないかと思います。
おそらくよくある進捗段階としては、
・アイラモルトが好きになる(ピートが好きになる)
・アルコール度数が高いウイスキーを好きになる
・フルーティーなウイスキーが好きになる
・シェリー樽のウイスキーが好きになる
このあたりが「ツボ」を形成することが多いように思います。もちろん出会うボトルの選択に依存してきますから、その質は大切です。
逆にこの幅があまりに狭いということは、まだまだ質の良いボトルに出会う機会や経験が足りないのではないかとも思えてしまいます。当初どんなに幅が狭くても、ウイスキーにはそれを広げる力があるはずだからです。
しかし、どうもしっくり来ない状態が続くのであれば、むしろウイスキーだけではなく、他のお酒にも手を広げていくのも正解なのかもしれません。ワインでもカクテルでも、ジンでも何でもいいと思います。まずストライクゾーンを広くすることが、お酒にただ酔うだけにとどまらず、質高く楽しんで向かい合うという観点から重要だからです。
おそらくお酒は何でも同じとか、いつも同じものを飲むという方にとっては理解し難いことでしょう。別にそれを間違っていると言うつもりはありません。あくまで今から自分がウイスキーについてのストライクゾーンを広げるように飲み進めるのであればという限定の話です。
私は報酬予測誤差システムの観点上、自分の経験上も、「ウイスキーは常に自分の期待を上回る存在だと認識し続けること」こそが、ウイスキーを最大限に楽しみ続ける方法だと考えています。理想像かもしれませんが、予めそのことを知りつつ、近い形で向かい合うことが叶えば、それに越したことはありません。
私の場合はウイスキーを飲み始めて、1,2ヶ月で、まず「度数が50度以上のアイラモルト」が大好物になりました。自ら今日はおまかせでと頼んでおきながら低い度数のボトルが出てくると、勝手にがっかりしたものです。恥ずかしいです。
当時正規で7万円(定価で99800円)くらいしたアードベッグの30年を、ショット1杯5000円で出してもらっておきながら、帰りに本当にがっかりした覚えがあります。やっぱり経験が伴わなければ価値を見いだせないボトルは存在します。気づくためには、それぞれのボトルの良いところを少しずつ記憶に積み重ねていく地道な努力だったり、自分に発見できない良さを知るために、他の人と語り合える環境が必要だったようです。
アイラ(当時はアイレイと発音していました)モルトが大好きでありながら、貴重な長熟アードベッグにまったくピンと来なかったのです。度数が低いことで既に迫力がかけていたと感じたので、その時点で期待に外れると、しっかり味わうに当たらずというような判断をしてしまったのかもしれません。
なにやら経験なくして何でもブルース・リーのように、直感で理解しろと言うのは土台無茶です。露骨で単純に分かりやすい近年系のシングルカスクボトルなら当てはまるのかもしれませんが、比較検討を重ねて、経験が豊富だからこそ理解できるような、複雑さやテクスチャ(物質的形成)をもったボトルというのも沢山あります。1バッチ数千本のヴァッティングをされたオフィシャルボトルを味わい尽くす経験値がありませんでした。
コーヒーやビールがいきなり美味しいと思うわけではないのと同じです。もっというと雑踏にいても、注意して聞かなければその「音」は聞こえない、意識に上らないのと同じなのだと思いました。
自ら注意、注目する感覚は、経験や繰り返しによって初めて培われますから、語彙が培われないまま、外国語を聞いても、その意味は理解しきれないのと同じことです。ウイスキーにとってこの語彙に当たるのが、先述の「(香味や質感の)ポイントを見出す経験値」であり、これらに幅広いストライクゾーンを持つことこそが、ウイスキーが自分に語りかけてくれていることに気づくこと、理解することに繋がるのだと思います。
(率直に美味しいと思えるポイント(幅)が増えれば、目の前のウイスキーに対する興味のベクトルが増え、理解が深くなり、喜びも大きくなるということ。≒志向性が増す)
【7】【報酬予測誤差-2】
いまならネットで沢山のテイスティングノートに触れる機会がありますから、ボトルのありがたみは伝わって来やすいですが、90年代半ばは、それこそ口コミのみ、しかもBARでは黙して語らず、誰しもがハードボイルドに飲むべきだという風潮だったと思います。
その度数の高いアイラ信仰は、その後1年半くらい続きました。でもいつしか、「もういい加減、アイラは一杯一杯」だと思った瞬間がやって来ました。
報酬予測誤差がプラスに転じなくなってしまったということです。モチベーションが上がりません。アイラ限定では蒸溜所も限られてきて、酒屋さんやBARで出てくるボトルは、もう何度も飲んだものばかりという状況でもありました。簡単に言って飽きてしまったのです。
そこから「濃厚シェリー樽でありながら、余韻で強烈なピートを感じるボトル」というなんともニッチなボトルにどハマりしました。。。
しかし短期のうちに選択肢の少なさから、新たな出会いはなくなり満足できなくなり、次善策として濃厚シェリーだけれど、ピートはいらない。他のリージョンのモルトへと探索を広げることになりました。ここでようやく志向性の幅が広がったようです。濃厚であれば度数は問わなくなってきました。
どシェリーだと、実際「素の状況がどんなものなのか?」がわからないので、同スペックのナチュラルカスク熟成品にも手が伸びて、それらから素の状況を思い起こしながらどシェリー樽熟成品を飲むということを繰り返すようになりました。
いつからか、締めにもアイラは必要なくなりました。飲めなくはないのですが、どうやら嗜好が正反対に向いてしまったようです。今現在では飲まない日のほうが多いです。
このあたりからオールドボトルも、ブレンデッドも好んで飲めるようになり、ウイスキーに対する好みのポイントが、どんどん増えて行きました。