注目キーワード
  1. Bowmore
  2. 1966
  3. Samaroli
  4. Sestante
  5. Intertrade

Glen Garioch 1971の立ち位置


昨日のニコ生中にも触れたんですが、結構大事な内容なのかと思い文字化してみます。

ギリーについて調べたところ、1968年に閉鎖、1970年にスタンレー・P・モリソンに売られて、1973年に生産再開と公式資料にあります。

そうすると1971年のこの名ボトルはどういう立ち位置なのか気になるんですが、OBでも1970も1971も出てますし、そこそこ作っていましたということなのかなと。


そして昨年9月のモルトナイト5で、1971年ギリーをみんなで飲んで、改めてそのヘビーピーテッド加減に驚いたわけですが、それは76カウダーでもなお(71までではなかったですが)健在でした。


ヘビーピーテッドな訳はなぜか? ブローラに関してはアイラモルト高騰によるブレンデッド会社からの需要ということが文献にありました。

ギリーに関しては、MJ氏が書かれていました。

1970年にギリーが、スタンレーPモリソン社(ボウモア所有)に買収されたときに派遣されたモルトスターが、みな「アイラで製麦をしてきた人ばかりだった」ために、ヘビーピーテッドなウイスキーが作られたと。

しかしそれはハイランドのオールドスタイルを彷彿とさせるもので、ギリーの復活を周囲は大変喜んだということでした。


ギリーのヘビーピーテッド時代はそういう背景があったのかと納得しましたが、でも80年代のパヒュ時代まで似ているのもまたなぜなのか気になりますね。

ちょっと昨日の放送ではここまで行きとどかなかったので失礼しました。

【パヒュ問題追記】今回のギリーとボウモアで共通する、製麦段階でというのは現在想像つかないのですが、いわゆるコンデンサー問題を考えてみると、蒸留後冷やす、加水する段階にコンデンサーが使われていたと仮定すると、そこに「水」由来のアルカリPH、ミネラル分がかなり付着していたり、コンデンサーでかなり急いで冷やすために温度の高低差が大きくつくと、いわゆる石鹸を生成する「けん化」反応がおこりやすかったのかなと推測しています。94年以降(またはその直前)はこのあたりが見直されたのかもしれないなと。ただこれもまったく根拠もない想像です。