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ウォーレス ミルロイ氏 ー1989年ー


ウォーレス ミルロイ氏が語った、「スコッチウイスキーと日本」ー1989年ー

スコッチウイスキーに対する日本の差別的とも言えた関税が改められたので、間違いなく今後の関係性は強くなるでしょう。

スコットランドの蒸留所の中でも最も名の通ったものの一つ「ベンネヴィス蒸留所」を日本の酒造メーカーが買収したこと、またスコットランドの製造メーカーと日本有数の大規模企業との間に密接な関係が築かれたこともその一端だと思われます。(訳注;ニッカとサントリーが随分表現が違うようですが、おそらく両者ともに日本の大きな酒造メーカーとの意だと思います。)

しかし、もしこうした現象が、現在スコットランドで休眠している蒸留所の再開をもたらすというのなら、一応待ち受けるに値するのかもしれませんが、反面、モルト蒸留所の英国所有者を減らすというのならば、将来的に嘆くことになるかもしれません。

まあ近い将来オールドスタイルでビッグなウイスキーを作り続けてきた最後の大きな砦、アードベッグ蒸留所の復興が見られるかもしれないと思えば楽しみですね。(拙訳)


*この記述をみると、宝酒造ー国分ラインはアードベッグとの最終的な買収交渉にまで至っていたのかもしれません。もしも直後にバブル崩壊がなかったら。。。

しかし1990年代、別資本にて復興を遂げたアードベッグ蒸留所は、スコットランド本国よりも日本においてスペシャルリリースを続けていました。代理店は国分野澤組。とても義理堅いエピソードです。


「スペイサイドの蒸留所は、なぜグレンリベットを名乗ったか?」

1700年代の終わり頃、法律上保護されていたローランドの市場においても、非合法であるハイランドのモルトは評判が高く、密輸されて(不正に持ち込まれての意と思われる)来てはよく売れていた。(肝心のローランド産モルトは大規模事業家が、利益先行で生産した荒っぽいもので、大麦麦芽だけを使った純粋なものは、ほとんどと言っていいほどなかった。そのためハイランド産のモルトは、非合法なものであっても、丹念に作られた健全なウイスキーであるとみなされていたようである。)

中でもスペイサイド産は評判が高かった。ただ市場ではスペイサイド産のモルトは何でも「グレンリベット」と呼ばれ売られていた。

実際、蒸留所の位置はリヴェット川の領域からいささか離れていたにも関わらず、いつの日にかスペイサイドの蒸留所全てが、グレンリベットを自称することとなった。

「ザ グレンリベット」蒸留所のオーナーがその状況にも我慢してきただけなんだ。だからこそ政府公認蒸留所の第一号となる道を選んだのでしょう。(拙訳)


*あわせて同氏は(1989年当時)スペイサイドのモルトのうち、グレンエルギン、リンクウッドについて最上級と評しています。

興味深かったテイスティングノートとして、

グレンドロナック 軽い甘みを持ち、やわらかい果実香をもつ ⇒ 緑ダンピーのイメージそのまま

キャパドニック 軽いが、非常にデリケートなピートの芳香がある 微かに果実の風味がする 短くて燻香を帯びた余韻 ⇒ 微かに果実ではなく、最近のドイツ系は露骨に果実。ピート感は消え去ってしまった。

アードモア 大物の風格 口当たりは甘く、モルトの風味が効く、心地よくきりっとした余韻 ⇒ いまや大物扱いはされていない

ベンリアック 軽くてつかまえどころのない、デリケートな香り 風味は中庸でほどほどのもの 味がゆっくりと口に広がる 食前酒 ⇒ これも全く今のスタイルとは異なる 果実感への言及もなし

ダルユーイン 非常にツンとくる香り、燻香を帯びる たくましいボディを持ち、風味にあふれ、いつまでも風味が残る余韻で、芳香と味わいのバランスが素晴らしい。優れた食後酒。⇒ ほとんどイメージ変わりなし

ローズバンク ローランドモルトの傑作 初めてモルトウイスキーを飲む人にすすめると、誰しもが驚くほどの素敵な味わい

との記録がありました。時期が違うと認識しているハウススタイルにも大きな差があるようです。当時はOB、G&M、ケイデンヘッズにしか選択肢はなかったでしょうし、熟成年数も概ね15年前後だったでしょう。


「グレンギリーの副業」

アバディーン港周辺の平地は農業が盛んで、直火加熱方式をとっていた、グレンギリー蒸留所では操業の傍ら、排水熱を利用した、「トマト栽培」「鉢植え植物」の温室栽培を行っていた。


「アイラ島について」

18世紀から19世紀にかけて、この島のウイスキー作りは専ら地方客目当てであった。この島の蒸溜は合法、非合法問わず、農家の庭先や、ポートエレン港の奥の荒地の掘っ立て小屋とか、絶壁に囲まれたオワ岬の海岸沿いにある、洞窟の中で行われていた。

アイラ島は、島産の大麦、ほとばしる川の軟水、無尽蔵のピートに恵まれており、15世紀には、アイルランドから、アイラ島を経由して蒸溜技術が伝播した形跡もある。

ピートを強く焚いた理由は、乾燥度を高めることによってカビの危険から穀物を守るためだった。


*発芽により酵素を発生させ、でもアルコールとなるデンプンを守るという目線だけだったのですが、アイラ島では特に穀物を積極的に乾燥させる必要があった、燃料はピートしかなかった、大麦だけではなく、蒸溜と関係ない穀物においても冬を乗り越え、またカビから守るために積極的に乾燥させていたようです。だからこそ生まれた伝統的ヘヴィーピーテッド。これは目から鱗が落ちました。